桜の木はいたるところに植えられている。私は桜を観に各地を回っていて、当初の本来の目的地の桜の名所に行く途中などで素晴らしい桜と出会うことがある。この桜も出会うという言葉がぴったりの桜だった。道の向こうに見える丘の上から「おーぃ、どこにいくんだ。桜なら、ここだ、ここだ」と声がする。ふと観るとカタチのいい、まあるい月が丘にある。月じゃなく桜が咲いているではないか。丘の上に1本だけぽっこり咲いている。これは絵になるなぁ、と。それで道をそれて、地元の人に聞きながら「あそこに行くにはどうすればいいですか?」「あぁ、あのあたりはお墓のところだね。それなら、そうだなぁ。だけどクルマでは行けないよ」
そして丘のふもとまでクルマで行き、丘を登る。登るときは、急で桜は見えない。桜のあるところまで行ってはじめて、ぱぁーっとこの桜が目に入る。この日は快晴。ほんと綺麗だ。そして撮った写
真がこれなのだ。ちょうどお昼時で、持っていたにぎり飯と水筒をだしひとりでここでお花見をした。そうこうしていると、人がやって来た。手にはお花と水桶を持っている。そうなのだ、ここはこの地所の方のお墓なのだ。この桜のすぐ横にはお墓があったのだ。
「どうもすいません、こんなところでお花見したりして。この桜はどなたが植えられたのですか」「いやぁ、誰が植えたわけでもなく、私がちいさい時からきれいに咲いているのよ」「そうなんですか、ほんと形のいい桜ですね」「でもはじめてですよ。この桜見に来られた人とここで会うのは」そんな会話を交わしながら、桜を観ていると、丘の底から風が強く吹いてきた。満開の桜もはらはらと散りはじめた。「もう散りはじめましたね」そう言った言葉がなんだか淋しげだった。
毎日墓地を見ることは都会生活者には少ないことだろう。ビル群や雑多な物体にさえぎられ、まず目につかない。また自分の先祖のねむる墓を毎日おがむことなんてことはまず無い。だいいちお盆にさえ花と水桶を持つことも少ないかもしれない。しかしこの町ではふつうなのだ。毎日お墓のある丘を見て、春になれば桜が咲き、あぁ月命日だなぁ、なんてお花を供える。たったひとりの人でもそう思い、その人がここに居たということは、とんでもない事なのだ、その人も今はいないけれど。こんなことを言う私も阪神淡路大震災まで、あまり実感しなかった。それほど私も人の命についてええ加減に考えていたのだ。そしてお墓やいち個人の思い出の土地なんてことにむとんちゃくだった。だけどある人がそこに存在するなんて事は、ほんとは大変な重要なことなんだ。
かの人を慕いこうして花をもって丘を登る。その途中丘を登るその人はきっとある人となにか喋っているに違いない。その人はこの私にも、またあなたにもあてはまるかわからない。こんな大事なことを人は忘れている。
*このページの製作年は1998年、データ内容は当時のものです*
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