はなを愛する心が住んでいるような
それほど桜の花が美しい村

愛される桜に花、それを残していくのが私たちのすべきこと
山梨県原間の糸桜

 お花見ひとつとってみても、いろんな説がある。お花見が大衆化したのは徳川吉宗の時代からという説、いや豊臣秀吉の醍醐の観桜の宴からだと言う説など。「江戸から大衆文化が花ひらいた」としたい東京大好き、なんでも一番にならんと気がすまない巨人のような文化人と、それに対抗する「太閤大好きぼんくらでも阪神タイガースが一番、庶民大好き」と考える大阪文化人の戦いみたいで、桜好きにはそんなことどうでもいい「ほんま、あほらしゅうて」。お花見と言うが、ビールや酒飲んで無礼講のどんちゃん騒ぎをして、桜の枝をおっているようなのは東京スタイルの花見だと私は考える。上野公園などのどんちゃん騒ぎを毎年マスメディアでたれ流されるから、あれが「お花見」だと勘違いされている。これは東京周辺のことなのに、それをさも全国の話題のように流すマスコミの弊害だ。私が旅して歩いた桜の名所では、その地域ごとに「お花見」は違っていた。花見のための押し寿司がある地方や甘酒とお団子で村びとがお花見していたり、みんながみかんを持っているから面 白いとおもったら、そりゃそうだこの島ではみかんがとれる、瀬戸内の島だったり。それが地域の文化とちゃいますか?他の町のことを真似してもつまらない、みんながみんな夜桜でお花見が出来るような地域に住んでいるわけでもない。どうして花見は夜なのだ。徳川吉宗はしもじもの者にも楽しみをやるぞと夜桜見物でも許したのだろうか。私はインターネット社会が進み、東京中心の情報発信でなく、その地域の本当に見てきたことを正しくその地域の言葉で伝えるインターネット社会が早く訪れることを願うのだ。ソメイヨシノだけが桜の木でもないし、地域によって桜の花も楽しみ方も違うのだということを、色んな地域から発信してほしいのだ。

  吉宗や秀吉の前に、ほとんどの日本人が百姓だった時代は自分の耕す農地のかたわらに咲く桜を愛でて楽しんでいたのではないだろうか。また、村一番の桜の木が村のお寺さんや畑のかたわら、日本中至る所の村にあったのではないか。それを私たち先祖は大切にしてきたから、こうして春になると桜を愛でることが出来るのだ。ありがたいことだ、まんまんちゃん、あん、なのだ。そして、この桜を私達のこどもや孫たちに残してやるのが、私たちの使命なのだ。千年、何百年ものあいだ生きてきた桜の木、これから大木となろうとする桜の木を大切に守りたいのだ。それでいいのだ。この木は全国的に有名な桜の木ではない。しかし、この地域の人は良く知っている。私はジュースとあんパン買った店で、教えてもらった。この村のお爺さんやお婆ちゃんがゲートボールする場所だそうだ。不思議なことにゲートボール場の横にはいい桜の木が多い、そう思いませんか。桜守りのひとがゲートボール好きの爺ちゃんなのか。そう言えば桜守りのおばあさんと言う人には会ったことが無い。もし、桜守りのおばあちゃんがいらしたら教えてください。ステキな写 真をプロのカメラマンが撮らせていただきますから。またいい桜の木がゲートボール場にあったらメールで私に教えてください。また訪れてみます。

*このページの製作年は1996年、データ内容は当時のものです*


撮影は1996年4月11日
場所 
山梨県南巨摩郡南部町原間
交通
JR 身延線内船駅下車山あいへ約5キロ
問い合わせ先
南部町役場05566-4-3111
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©MAC FUKUDA All rights reserved. 2005年11月4日