ドイツ国内の新聞も連日KOBE地震のことを 報道していました


地震後火災の発生した地域は爆撃を受けた 町のようです。ここは長田御船通周辺


古い木造家屋は1階部分がぺしゃんこになった 建物がたくさんありました。ここは須磨寺周辺


傾いていく家、なんとか電線のおかげで 倒れずにすんでいます。 ここも1階部分がぺしゃんこに。東灘区摂津本山駅南

私の居場所だったビル。2階部分がぺしゃんこになり、 3階も場所によってはぺしゃんこでビル全体は 傾いた状態です 中央区江戸町



ビルが傾いているのがよくわかります、
潰れているのはぺしゃんこになった2階部分



ごみの山ではありません。 神戸に住んでいた人たちの思いでが積み上げられた 悲しい山です。須磨水族園駐車場




 あなたは浦島太郎を知っていますよね。
じゃぁ、あなたは浦島太郎になりたくなったことはありませんか。



1995年1月17日早朝5時46分。私の居場所は無残な姿になっていたのだろうと思います。他人事の様ですが、当時私は神戸を離れドイツでこのニュースを知ったからです。「ミッシングMissing」行方不明者を早く見つけ出せ「ホームレスHomeless」避難民を寒空の中から助けろ・・と叫ぶヨーロッパ各国のテレビニュース。「Kobe Earthquake」を連日報道しています。


ドイツ語の通訳をしてくださっている人から「日本には消火ヘリコプターは無いのか?あれほどのハイテク国なのに」「飲み水が無いのなら、ホームレスの居そうなところに何故水や食料をパラシュートで落とさないのか」そんな疑問がドイツ人の間にはあると言われ、その説明を求められたが、答えられなかった。そしてその時、自分も帰り着くところが無いホームレスになったことを痛感しました。


ヨーロッパでのニュースの内容で、私を感動させたのは「どうしたら人を助けられるか、どうしたら今の状況をよく出来るか」そして「わが国に神戸大地震の被害にたいしてできること」人の命が第一に考えられて伝えられるニュース。起こったことではなく、一個人、人間が幸せに安全にくらせることを考える姿勢と言うものに、遠くはなれたわが国日本との違いを考えてしまったのです。帰国後、テレビの画面 を見てその思いは尚一層強くなり絶望しました。


この国の小さな社会だけ、自分のところさえ安全なら、それでいいという島国根性をかいま見ました。ボランティアと報道されてはいるが、ただ単に自分の属する会社や関係機関のために物資を運ぶ人を映し出すテレビ画面 、確かにそんな人ばかりではないことはよくわかる。しかし本当に困っている人たちは、それから到底うかがい知れない。人の不幸をニュースにすればよいでは、どんな悲惨なことが起こっていてもウソの様に思えてしまう。まるで空想の世界のようだ。


「こうした災害が起これば、明日からあんたもホームレスやで」そんな言葉を、途方にくれていた私にインタビューにきた方に言いました。その人はなんだか苦笑いのようなものを浮かべていましたが・・


帰国後はまるで浦島太郎のようでした。私の家があるビルは2階部分がぺしゃんこで3階部分は半分がぺしゃんこ状態、1階の銀行は地面 に少しめりこんでいる状態。そして私の部屋は4階の真ん中あたり。しかしビルの階段は使えない、さあ、どうする。「このビルは危険なため立ち入り禁止」の張り紙を役人が貼っている。私のビルの無残な姿を見た初日は、ぼう然とただ見上げるだけで何も出来なかった。そして焦点の定まらない目でいつまでもぼんやりとながめていた。


隣で傾いたビルの壁を殴っている中年男性を見た。よく見ると泣いていた。見つめることは、彼のプライドを傷つけると目をそらした。私はその場にいたたまれなくなった。つい先日までは、毎日の仕事をし、生活していた場所であるはずなのに、いまはもうそのカタチすらない。 ただ残ったのは一枚の全壊罹災証明書。


全壊の自分が生活していた場所をみつめながら「汚いからどけてしまえとは何事だ」と叫んでもむなしく。そうこの時、野宿する人たちの気持ちが少しわかった気がしました。汚いからどけてしまえ、人の痛みのわからない人間たち。汚い、もう壊れてしまったもの、捨てるもの、そんな言葉が頭のなかを廻りました。そして、いち個人なんて存在はこうして抹殺されていくのだなぁ・・と。


その捨てられてゆく個人にあなたが何時なるともわからないのが阪神淡路大震災のような地震と言うことだけは知っておいてください。 本当に高齢者になられてからのこうした災害はつらいと思います。人を頼ってはいけません、よく子供の時に言われました。自分の手と足を使って、どんなときも目の前に立ちふさがる壁を超えなくてはいけない。


組織に属さない人間が見捨てられてゆく状況にも怒りがわいてきました。いい例が高齢者の方です。会社組織であれば、トラックで支援物資を神戸へ送り、社員を助ける。何かの団体に属していれば、恩恵が受けられる社会。はたしてそれでいいのでしょうか?


誰も助けてはくれない・・・そんな絶望感に何日か沈みました。あの日壁を血を流しながらこぶしで叩いていた男性も、きっと同じような絶望感で怒っていたのだろう。私たちにいま必要なのは「浦島太郎の玉 手箱」だと。 2000年1月17日データアップ

 

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