神戸の西から深夜歩いてきたともしび


東から歩いてきたともしびと三宮センター街の入り口で合流


三宮の交差点近くに設置された献花ならぬ 献火の場所


東遊園地に設置された全国から集まったともしび、これはなんと北海道から


雪で出来たお地蔵さんの前に全国からのあたたかいともしびが灯る、左から山梨、千葉、新潟、群馬、茨城、熊本と


神戸の東の端と西の端からやって来たともしびが全国のともしびと1月17日午前3時すぎ一緒になってなお一層ひかり輝く


ボランティアの人たちが竹で作ったローソク立て。それを「1.17KOBE」の文字に並べている。その竹のなかに水を入れロウソクを浮かせてともしびに


あの日と同じ時刻17日午前5時46分を合図に一心不乱に火をつけていた少女、彼女はなにを思い、そして願い火をともしていたのか。それに応える社会にしていかないと


竹のロウソクで描かれた文字1.17KOBE


永遠のともしびとして設置された慰霊塔の点火もおこなわれた


2000年1月17日の夜明け、神戸港でひっそりと精霊流しがはじまった


見えにくいですがほんのり赤く海面 に見えるのが精霊流しのともしびです


 

 

 



2000年1月17日昨日からの雨で午前12時すぎ路面 は濡れ、あまりよい天気になりそうではない。命のともしびは大丈夫だろうか、雨で消えてはいないだろうか、そんな思ひが頭をよぎった。涙あめのように、昨日はしとしと降った。午前2時過ぎ、雨はあがり、昨年に比べるとなんだか静かな17日のはじまりだった。


今年も一般の人たちが中心となって慰霊のための式典が開かれました。地震で新婚の息子さんとお嫁さんを亡くされたお父さんが火をたずさえて1月17日午前零時から神戸の町を息子さんを亡くされた神戸の東から歩いて来れられたり、西からも同じようにランプに火をともして歩いてこられました。そして中央区三宮そごう前のところで集結、そのあと全国からこの日のために集まったともしびに合流しました。これがどれほど神戸の人たちの心を癒したことでしょうか。


私たちもボランティアで神戸ボランティア絵葉書を毎年作っていますが、これにも北海道から九州、四国まで全国のひとが協力してくださいます。協力していただいたお金を寄付する先にもそうした人たちのメッセージなどをお渡ししてるのです。それを見て「全壊になって、人も死んだのだけれど、これだけ全国の人の励ましがあるのですね。ありがたいことです」と。「忘れてないよ、神戸のひとたち」と励まされいるようです。


1995年1月17日「ともしび」が神戸から消え去ったのです。神戸は世界に百万ドルの夜景と言われるほどの、町の夜景の綺麗な町でした。その町から夜景のともしびは消えたのです。暗い中にある神戸の町を見ていると、私は悲しさが増したものでした。そんな思いがやっときえたのが、一年経った1996年のこの日1月17日です。ホテルオークラ神戸さんの粋なはからいで「LOVE KOBE」の文字がホテルの側壁面に部屋のあかりで描かれたのです。今では何でもできてしまう時代ですが、これを作り物のイルミネーションでやると興ざめだったと思います。部屋のあかりだからいいのです。部屋をかりている各個人が、それぞれ協力をしたという事実がとても暖かく感じられる事だからです。あかりの大切さを知った市民にとっては、あのあかりこそが嬉しく暖かいのです。


1月17日あの日と同じ午前5時46分。神戸市中央区東遊園地と呼ぶ公園内にできた慰霊塔に、この火が点火されました。天を仰ぐ人、地面 を見つめる人、目を覆う人、人ひとりひとりにあの日の思いが浮かんでいるのです。幸いにして助かった私たちにできること、それはこんなことが再び起これば、どうすればよいのかと言う知恵を伝えなくてはいけないのだと思います。あの震災を経験して知り、そして気に掛けていることを書いておきます。あなたも一度考えてみてください。

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1.寝室には出来る限り家具を置かない、置いても地震対策を必ずする。 家具が凶器になることをみなさん知ってください。死に至らないまでも、ガラスで頭を切ったりした人はとんでもない数いるのです。また消防署や警察などが助けてくれると思うのは間違いで、近くの人がなんとか助け出した、そんなことの方が多いのです。周りの人に助けてもらった人の方が断然多い。周りの人とのコミュニケーションがない人は、本当に自分独りでなんとかできるくらい、考えなくてはいけません。つらい話かもしれませんが、阪神淡路大震災で全壊した者の体験としてはそういうことです。

2.自分の地域の避難場所を確認する。怖いと思われるかもしれないが意外とガソリンスタンドは安全地帯、あの長田区のみなさんよく知ってる菅原市場の横のガソリンスタンドは燃えてもいなかったのです。建築基準が厳しいスタンドの壁はまるで防火壁のよう。また木のたくさん植わっているところも木が火の手から守ってくれました。

3.2000年対策でもやった電池やバッテリー、懐中電灯、ランプ、カセットコンロ、飯ごう、数日間の非常食と水の確保、ラジオ、携帯電話。また大工道具もあれば便利でした。人間の手の延長の道具になるものは有益です。それがどこかにあるのでは無く、直ぐそこにある。

4.コンピュータやワープロに個人データを持っている人も多いと思いますが、住所録などはプリントアウトしておかないと、電気の無いときは役に立たない。コンピュータもただの箱。結局は電気を使わずに自分の力だけで出来るようにしておく。

5.財布や大切なもの、それに自分の名前、血液型、電話番号など連絡先を書くのは当たり前なのですが、これに親、兄弟、親友だれでもいいですから信頼できる方の連絡先が書いてある事が必要だとおもいます。連絡先は二カ所は必要です。パスポートと同じです、いざというとき本人がたいへんなのに連絡先はその本人のところしかわからないのでは、連絡のしようがないのです。マンションなどでは、管理人さんに実家や急なときの連絡先を伝えておくべきです。これほどコンピュータで情報データが瞬時に入ると思われている時代でも、肝心なとき「この人はi-Mac抱えて倒れているけど、一体どこのだれ?」と言うことになるのです。 こんな事がなかなか出来そうで出来ないです。私自身反省の意味も込めて。


最後になりましたが20世紀最後の年の1月17日にも全国からの暖かいはげましの行動、言葉ありがとうございました。私たちもとても励まされました。ありがとう。2000年1月17日記

 

 
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